「ワタシ」的日常

「ワタシ」的日常

一人称の主語「私」によって語りだされる日記。ハヤナギの公的and/or私的生活の中の出来事とそれについての感想と考察から成る。
単なる愚痴のたれ流しという説もある。(目標:毎日更新)

NEW DIARY

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お知らせ 04/08/01(日)13:58:52
「ワタシ」的日常は引っ越ししてリニューアルしました。右上のリンクをクリックしてみてください。旧日記の内容は折を見て新日記に引き継ぎます。

陸軍機と海軍機あるいは単なる八つ当たり 04/07/11(日)23:42:59
 長崎市においては自転車に乗れない人がかなりの割合で存在する。これは全国的にも有名である。私自身は、そんなのは都市伝説のようなものだろうと思っていたのだが、長崎出身の学生たちから聞いた話を総合するとやはり事実のようだ。
 実際、坂の多いこの街を自転車で移動するのは大変だ。行きはよいよい帰りは恐いならまだいいが、500mほど前の目的地と自分との間に横たわる「谷」を前にして、「おいおい、一旦底まで下ってからでないと、あそこまで行けんのか?」と、独り言をつぶやいてしまうような場所もちょくちょくある。

 したがって、長崎のような街で変速機のない自転車に乗っているのは、よほどダイエットの必要に迫られている人、路面電車沿いの道しか走らない人、あるいは競輪選手であろう。 

 私が現在乗っている自転車は同僚のM本先生から譲っていただいたものであるが(もともと持っていた愛車は長崎に来てすぐ盗難にあってしまった)、これも内装三段の変速機が付いている。
 この変速機はレバーを一番下に下げると「軽」にギアが入り、一番上だと「速」である。私は普段は(運動不足の解消のため負荷を大きくするために)「速」にしている。そして、道の傾斜が限界を超え、止まってしまいそうになる直前に→「中」→「軽」とチェンジする。
 このシフトレバーの操作は、ハンドルを切ったり、ブレーキをかけたりするのとほとんど同じくらい条件反射的運動となっている。

 今年の三月に、我が家で自転車を買った。我が家の位置する名古屋市郊外は丘陵地を切り拓いてできた住宅地であり、長崎ほどではないしろ、坂道が多い。響一郎の自転車の練習に付き合って気が付いたのだが、公園を除くと、完全に水平な場所というのがほとんどないので、「路上教習」を行うのが難しいほどである。
 そんなわけで、我が家の自転車にも三段変速機をオプションで付けた。(ちなみにブリジストンのママチャリで、スカートをはいたままでも乗り降りが容易に出来るよう設計してある。しかし、その結果として重心が低くなりすぎて、カーブを曲がるときの重心移動がスムーズに行かないという欠点がある。とはいえ、全体としては、「さすが自転車業界のトヨタ」だけあって、そつのない出来である)。

 この自転車が活躍するのは主として、保育園に通う朝佳音を送り迎えするときである。我が家から園までは、急とまでは言えないが、さりとて緩いとも言えない下り坂が1000メートルほど続いている。つまり、行きはよいよい帰りは恐い、である。

 とある月曜日の朝、まだ梅雨の最中だというのに、真夏のような日差しが照りつけていた。朝佳音を保育園まで送り、バイバイをして、自宅に戻ろうとした時、水筒を持ってくるのを忘れていることに気が付いた。そのときはまだ気分的にも体力的に余力があったので、変速レバーを操作せずに坂を上り切った。しかし、水筒にお茶と氷を詰めて、保育園に届け、再び坂を上ろうとした矢先、太陽はますます激しく輝き始め、ペダルをこぐ力は急速失われ始めた。
 私の右手はほとんど条件反射的に、変速レバーを下に向かって押した。
 ガクッ。その瞬間、ペダルを踏む私の足に急激な負荷がかかり、自転車はだらだらと続く坂の途中で停車してしまった。

 そう。ブリジストンの変速機は、私が長崎で乗っている自転車とはギアの強弱の順番が逆向きに設定されていたのだ。
 しばらくの間、自転車にまたがったまま呆然としていた私は、ギアを反対向きにシフトさせ、再びのろのろと坂を上がり始めた。

 自動車のアクセルとブレーキの位置が逆になっているなどということはありえない(きっと何らかの公的ルールがあるはずである)。自転車だって、右ブレーキが前輪を、左ブレーキが後輪を制動するというのは世界共通ではなかろうか。 だが、変速レバーにはこうした統一ルールはないようである。確かに、上り坂でギアを「速」に入れても、命を危険にさらすような状況が生まれるわけではない。だが、少なくとも私の場合、精神的なダメージはかなりあった。

 あまり関係ないかもしれないが、第二次世界大戦中の日本軍の飛行機のスロットルレバー(=アクセル)は、海軍機では手前に引けば回転数上昇、陸軍機では逆に向こう側に押せば回転数上昇だった(という話を読んだ)ことを想い出してしまった。同じ「栄」や「誉」エンジンを使っていても、操作系には互換性がなかったのである。セクト主義の悪弊を示す典型的な事例である。

(ちなみに、敵と味方とが同じ規格の武器弾薬を使っていると、勝ち進んでいるときは、接収した敵の装備を自分のものとして使えるので、効率的だが、逆に、背走しているときは、自分が残していった武器で攻撃されるのだからたまったものではない。カラシニコフという自動小銃はこうした状況の中で使用されることがよくあるそうだ血に飢えた銃である。)

 一Macユーザーとして、操作系の統一がいかなる場合にも必要だと主張するつもりはない。OSの違いとは世界に対する態度の違いでもある。あるいは、どのような世界を構築するのかという姿勢の違いである。そして、異なる思想間の違いが抹消されるというのは、いかなる場合でも危険信号だ。

 しかし、ブリジストンをはじめとする自転車メーカーが、変速レバーの操作系にそこまでの思想的展望をもっているとは思えない。意識的にも、意識外においても。他社と違う配列で変速機の段階を配置しても、それが商品の魅力には全くつながらないからである。だったら、ブレーキ並の統一規格を打ち立てくれてもいいはずである。(人間工学的と身体の心理学をクロスさせれば一応の最適解は見つかりそうなものだが・・・)そうすれば、だらだらと続く坂の途中で、ガクッとなってたたずむ私のような人間の数が、少なくとも750人くらいは減るのではなかろうか。明確な理念や理論に基づかないフォーマットの乱立は、かつての日本軍と同じように、自らの打つ「勝負手」によって、自身の敗北をいっそう早めるだけである。


以上、夏の日の八つ当たりでした。


カネッティは選挙に行ったか? 04/07/10(土)11:07:35
 仕事の合間をぬって、(梅雨という言葉からはおよそ想像できない)豪雨の中を不在者投票に行ってきた。
 理由はよくわからないが、私が票を投じる候補者はたいてい落選する。別に泡沫候補に投票しているわけではないし、某正統政党の支持者だというわけでもない。仮に泡沫候補や正統政党が正しいことを主張しているとしても、完全な死に票になるような候補者には入れないようにしている。なのに落選するのである。いっそのこと投票しない方がいいのでは、と思えるほどである。

 私が候補者を選ぶ基準は「変容」である。

 自分の家族ですら知らないと思うが、私はカネッティアンである。
 「カネッティアン」って何だ?と思われた方も多いであろう。当然である。今、キーボードを叩きながら思いついた言葉なのだから。
 デカルトを研究する人のことをカルテジアン、フロイト研究者のことをフロイディアンと呼ぶ。だから、エリアス・カネッティの研究者はCanettianと呼ばれるのではなかろうか、と思いついたのである。(とは言っても、私がかつてカネッティについての論文を発表したことを知っている人は、ごくわずかであろうが・・・)
 カネッティは「変身=変容Verwandlung」の思想家である。生きること、とりわけ圧倒的権力を前にして生き残ること(彼が亡命先のロンドンに住みつづけながらドイツ語で仕事を発表したユダヤ人であったことを頭の隅に置いておいていただきたい)と「変身」を結びつけるカネッティにとって、「停滞」や「硬直」は「変容」の対義語であるばかりか、「死」そのものである。
 だからカネッティは、なんだかんだ言いながらも結局は死(とりわけその美化)によってアポリアを解消しようとする思想を徹底的に憎んだ。彼はアフォリズムの名手だが、その中には、これでもかと言わんばかりに、死に対する呪詛の言葉がならべられている。(晩年のカネッテイどのような死を「生き」たのだろう?)

 独特のモルフォロギー(形態論)を展開するカネッティにとって、身体の硬直も、柔軟性を失った心も、そして変容に対して閉ざされた組織や制度もみな「死」のパラフレーズである。私の語彙で言えば、これらは関係的同一性によって結びついているのだ。

 「変わらなきゃ」というキャッチフレーズを空しく響かせながら、ほんとうは変わりたくなどないものだから、変われない理由を無限に考えつく、あるいは、見かけだけの改革を繰り返して、自らの死をより避けがたいものにする。自ら好んで敗着を打っているのに、自分ではこれこそが勝ちの一手だと信じている将棋差しのようなものだろうか。「おまえは既に負けている」とは、それと知らずに自らのタナトス(死への本能)に突き動かされる人間全てに向けられた言葉なのだ。
 このような緩慢な死は、日常のミクロな現場から、マクロな政治の世界まで、日本という国の至る所で観察される現象である。「死のマトリョーシカ人形」とでも言えようか。

 選挙というのは、このような「死のモード」に入っている社会を、「変容のモード」に「変容」させる直接的な機会である。システムというのは、その末端や周縁で生じた小さなノイズ=波が、少しずつ、しかし、相乗的に増幅されることによって、ある瞬間に劇的に変容するものなのである。
 変容するものだけが生きる。生き残る。(カネッティはロンドンで選挙に行ったのだろうか?)

 「変容の一票」を投じること。これは党派に属することの対極にある政治なのである。

常識破りをめぐる常識 04/07/06(火)00:26:37
 1.私の勤務先のすぐ近くに、三菱重工の社員寮がある。社員寮といっても、見た目はかなりの豪華マンションである(実際、最上階にはバー・ラウンジなどもあるそうだ。私の住む官舎とはえらい違いである)。先日その前を通りかかったとき、何気なく玄関付近の駐車場を眺めると、アルテッツア、ラウム、アコード、ストリームといった、トヨタ、ホンダ車ばかりが目に入ってきた。

 2.職場の裏門の正面には三菱系列の自動車販売店がある。が、にぎやかなのは修理工場ばかりで、ショールームで商談している人影はほとんど見られない。

 3.新聞を広げれば、ほとんど毎日のように「三菱車炎上」、「三菱車同志で衝突」といった見出しが踊っている。販売店の窮状や、末端の社員とその家族の苦悩を伝える記事や投書もほとんど定番と化している。

 こうした観察や報道をもとにして、「三菱系列の会社の人たちでさえ、三菱車を見限っている」、「三菱車を新たに買おうとする人はほとんどいなくなった」、「三菱の自動車に乗るのは非常に危険である」、「三菱自動車の従業員や家族はとても悲惨な目にあっている」といった結論を導き出すことはできるだろうか?

 『反社会学講座』を引き合いに出すまでもなく、答はNOである。

教員:「最近、少年による凶悪犯罪が増えてきた」という実感を持つ人が増えてるけど、君たちはどう思うかね?

学生A:先生、僕もそう思います。新聞でも毎日のように、少年が起こした事件についての報道を見ます。

教員:ちょっと待ちたまえ。こうした実感が生み出されたのは、単にメディアが少年犯罪を「議題」して取り上げる傾向が最近強まってきたからだとは考えられんかね?

学生B:でも先生、警察が発表したデータを見ても、ここ数年、少年の凶悪犯罪は増加してるんですけど。

教員:それは、ここ数年、警察が少年犯罪を以前より重点的に取り締まるようになってきたことの結果だと解釈することはできんかね? とすれば、「少年犯罪は警察によって創られる」って命題を取り出すことも可能かもしれないな。まっ、とりあえず、メディアの「議題設定効果」の問題から検証していくことにしようかね。

といった会話は、社会学のゼミの日常風景である(たぶん)。

 だとすれば、

「三菱車離れが世間で大きな話題になっているので、たまたま通りかかった三菱重工の寮に駐車している車のブランドをチェックするなどという行動に走ってしてしまったが、他の大手自動車メーカーと関係の深い会社の寮の車もチェックして比較してみれば大した違いはないかもしれない。」

「リコールばかりで、新車は売れないという予断があるから、そう見えるだけかもしれない。三菱以外の自動車販売店での修理工場の稼働率やショールームでの商談数を調べてみよう。」

「全メーカーの車の事故率データを探して、それと自動車事故についての新聞報道におけるメーカー名の言及率とを比較してみれば、メディアが現実を<伝える>ということと<創る>ということは地続きの関係にあることがわかるかもしれない」

「他の勤労者に比べて、目下の三菱自動車社員の生活はほんとうに悲惨なのか? まずは、生活の悲惨さを計る指標について考えてみよう」

といったことを一年間ゼミを受講したA君や、Bさんなら考えるだろう。

 つまり、「私たちの目に映っているものは虚像かもしれない」、「私たちは自分が見ようと思うものだけを見ている可能性がある」、「報道は現実を再現するのではなく、創り上げるのだ」、「常識と幻想との間の距離は意外に短いことがある」といった仮説を立てる能力がなくては社会学的な研究はできないのだ。

 そして実はこれはほとんど全ての学問的営為に当てはまるものだ。「常識」や「定説」とされているものに疑いの目を向けてみること、「現実」だと思われていることが成立する条件について考えてみること、これまで一度も関連性を想定されていなかった二つの事項の間に同型性や類縁性や因果関係を見出すこと。こうした行為なくして、本質的に新しい学問的知見など生まれようもない。
 
 しかしながら、言うは易し行うは難し、である。常識の外部に出ることは、そう簡単なことではない。常識外れのことをしているつもりでも、気がついたら常識の中に取り込まれてしまっている、というのは常識のひとつだろう。

 学問における理論と方法というのは、言ってみれば、それに従って、手順を踏んで調べていけば、誰もが常識の外部にでる可能性を手にできるようになる「マニュアル」のようなものだ。この「マニュアル」を使いこなすには、段階を追ってトレーニングを積む必要がある。

 無論、世間をあっと驚かせる研究をするには、センスや勘や運も必要である。それを否定するつもりはない。しかし、常識の虚構性を見抜くセンスや、おもしろい結果が出そうな素材を選ぶ勘の良さは、トレーニングの質と量に依存する面がある。それどころか発展性のあるテーマに出会う幸運さえも、先行する「常識破りの」研究の理論と方法を、まずは「練習問題」で、次には自分の研究の中で試してみるという経験を経る中で転がり込んでくる場合が多い。いずれにせよ、ある理論や方法の可能性と限界を何度となく自分で確認したときに初めて、自分なりのオリジナルな理論や方法が立ち上がってくる(場合がある)のである。

 「常識の自明性を疑う」というカッコよさげなフレーズは、結構地味目で、系統的にやれば誰でも実践できるトレーニングに支えられているというのがこの世界の「常識」なのである。

(念のために言っておけば、トレーニングの段階でもういやになってしまったり、トレーニングが自己目的化してしまい、それに対する反省的眼差しを失ってしまったりするのがいけないのであって、マニュアル通りトレーニングすること自体は決して悪いことではない。トレーニングなしにいきなり現実の中に分け入っても、辿り着いたところはもといた場所であったということになってしまいかねないのだ。)

モノの個人史 04/07/04(日)00:04:07
 昨夜はほんとうに蒸し暑かった。油凪とでも言うのだろうか。風がそよとも吹かない上に気温と湿度が高く、自転車に乗っていてもなま暖かい粘性体の中を移動しているような感じだった。息をするとその粘性体が肺の中に入ってくるような錯覚さえする。肘や膝の裏側がべとべとして、手足を動かすのもいやになる。
 (もはや名前も忘れてしまったタイガースの外国人選手が、この時期に不調の原因を問われて、No air!と叫んでいたのを想い出してしまった。)

 というわけで、官舎に戻って、風呂の準備をし、今シーズン初めてエアコンのスイッチを入れようとした。ところが、リモコンが全く機能しない。よく見ると液晶の表示が消えている。
 電池切れだと判断して、単4の在庫を探したのだが、見つからない。あるのは単2と単3ばかり。無論最寄りのコンビニまで行けば手に入るのだが、あの油凪の中を自転車で走る気がしない。行きはともかく、帰りは緩い上り坂がえんえんと続くのだ。かといってエアコンなしでは眠れそうにない。
 二分間くらい悩んだ後、意を決してコンビニに向かい、電池を買ってきた。

 電池を入れ替えて、リモコンのスイッチを押した。だが、相変わらず何の反応もない。液晶表示も消えたままだ。
 説明書を引っぱり出してきて、「困ったときには」のリモコンに関する項目に書いてあることは全て試したが、結果は空しかった。どうやらリモコンが完全に壊れてしまったようだ。
 途方に暮れて説明書をめくっていると、リモコンが故障したときの応急処置として、本体内部にある「自動運転ボタン」なるものを押して起動させるという方法が書かれていた。
 さっそく本体のカバーを開けてみると、空気フィルターが埃だらけである。そう言えば長崎に来てから一度も清掃していなかった。このフィルターを通った空気を吸うのかと思うと、既に気分が悪くなってしまった。
 結果として深夜に汗をだらだら流しながらエアコンのフィルターを掃除するはめに陥った。

 きれいになったフィルターをセットし直し、自動運転ボタンを押すと、エアコンは涼しい空気を吹き出し始めた。どうやら本体は無事のようだ。

 一風呂浴び、涼しい部屋の中で、ワインを飲みながら、読みかけの本の続きをパラパラと眺めたときには、ずいぶんさわやかな気分だった。
 だが、エアコンの吐き出す空気が冷たすぎることが気になり始めた。再び説明書を読むと、自動運転時には、エアコンの方で室内温度を検知して、適温だと思われる風を送るようになっていることがわかった。しかし、室温と適温との対照表を見ると、私の求めている温度よりも1、2℃低いところが適温ラインとなっているようであった。
 そして、自動運転では好みの温度にならないときは、リモコンで調整するようにとの記述も見つけた。しかし、リモコンが壊れているから自動運転ボタンを押しているのに、一体どうしろというのだろう?

 一旦、エアコンを止めてみたのだが、しばらくすると室温が急上昇して、再び汗が噴き出してきた。結局、エアコンをつけたまま厚めの布団に潜り込むという倒錯的解決策に頼るより他なかった。

 1993年製造と書かれたラベルが貼ってあったから、このエアコンを買ったのは11年前のことである。考えてみれば、このころ持っていた、あるいはこのころ買った電気製品はほとんど全て壊れるか、人に譲るかしてしまった。
 弟からもらったテレビは留学している間にゴキブリの巣になって、いかれてしまっていたし、ビデオデッキは去年あかねやのマスターに譲ったときにはもう壊れていた(マスターごめんね)。東芝のRUPOというワープロ専用機は、阪神大震災のときに柳田國男全集が降り注ぐという危機を生き延びたが、その後Macに取って代わられ、弟のもとへと送られた。CDプレーヤーは長崎に来てからも使っていたが、上の階の住人が漏水事故を起こしたときにやられてしまった。炊飯器は同じ事故の後、炊きむらが激しくなって使わなくなった。旧式の蛍光灯も漏水事故からしばらくして不安定になったので、インバーターのものに買い換えた(因果関係はわからない)。もらいものの冷蔵庫は食べ物を残したまま留学に出るという失敗を犯してしまい、帰国したときにはその内部は文字通り言語に絶する状態に変わり果てていた。掃除機は長崎に来る直前に煙を噴き始めたので買い換えた。ドライヤーは誤って足で踏みつけたら、簡単にまっぷたつに割れてしまった。電話機は留学する直前にコーヒーをこぼしたとき、「ピーヒョロロ」という情けない音を立てて以来、基本的通話機能以外は全て使えなくなった。
 こうして列挙していくと、生き残っているのは、母校の付属保育所のバザーにて400円で買った電子レンジ(これは15年ほど前にすでに20年ものだったが、いまだにゼミ室で活躍している)と、大学を卒業するときに隣室のT君からもらったオーブントースター、それにCDラジカセだけだ。(全て松下電器=パナソニック製なのは偶然だろうか?)

 ・・・今日の日記を書き始めたときには、家電の寿命がおおよそ10年であることと、一つの研究テーマを10年間追い続けることを重ねて考えてみようと思っていたのだが、こうして列挙してみると、天災や人災によって使えなくなってしまったものが意外に多いことに気がついた。これでは家電の寿命を云々することはできない。
 天災はともかく、人災を避けるよう慎重に取り扱っていれば、私を取り巻く家電風景は今よりずっとレトロなままだったはずである。最近の家電に付けられている機能など、あってもなくてもかまわないものが多いのだから、レトロでも大した不便はないのだ。
 私がモダンを求めるのはMacとその周辺機器だけである。

おっと、あぶない 04/07/01(木)23:16:14
 季節感がしっくりこない。まず蒸し暑い。が、割と強い風が吹いている。雨はほとんど降らない。演習でサウンドスケープを取り上げていることもあって、最近は目を覚ますと、まず聴覚に意識を向けるようにしているのだが、昨日はいきなりセミの鳴き声が耳に飛び込んできた。たぶんアブラゼミだ。大学のトイレ(4F)で用を足していて、ふと窓の外に目をやると、赤とんぼの大群が乱舞していた。それから数時間後に再度トイレに行ったときには、数匹のオニヤンマが目に入った。耳を澄ますと4階のトイレにいるというのにコオロギの声が聞こえてきた。用を足しながら一瞬リアリティ感覚を失ってくらくらしてしまった。あぶないあぶない。

言葉の整体師はいずこ 04/06/28(月)23:44:38
 昨日は朝から学童保育所の草取りに出かけた。何度か響一郎を送り迎えした際の印象としては、それほど草が生えている感じはしなかったのだが、庭には大きなゴミ袋が8枚用意されていた。
 私は草取りという言葉で、草を根っこから引き抜くことをイメージしていたのだが、大方の参加者が考えていたのは地上部分の草やはみ出した枝葉を刈り取ることだったようだ。(特に決まりもなかったので私自身は根絶方式でやった。)
 しかし表層を刈り取っただけであるにもかかわらず、90分後にはおおよそ16袋分の草や葉が集められていた。私だけではなく、皆も驚いていた。つまり、私たち(とりわけ私)が見た目で判断していた以上に、雑草や枝葉が繁茂していたのである。
 
 (長い昼寝の後)夕方にはバスタブの掃除をした。
 ここ一ヶ月半ほど、我が家の風呂掃除は響一郎に任せっきりであった。風呂掃除をしたら小遣いを与えることにしたのである。
 で、最近どうも入浴したときのバスタブの肌触りがおかしかった。以前のようななめらかな感触が失われているような感じがしていたのだ。
 だが、自宅で入浴するときには眼鏡を外す習慣があるので、私が現実を直視するのにはさらに二三週間を必要とした。その現実がどのようなものであったのかここで記す必要はあるまい。
 響一郎の名誉のために書いておけば、この(労働の喜びに目覚めた?)小学一年生はスポンジ片手にせっせと働いていた。ただ、適量を判断するのはまだ難しいだろうし、目や肌に対する刺激があってはいけないと考えた親の方が、「洗剤は使わなくていいよ」と指示しておいたのだ。そのくせ、入浴時には、バスオイルやら温泉の元などを投入するという習慣を手放すこともしなかった(これも子供たちの肌荒れ対策なのだが)。その必然的結果が生じたというだけのことである。
 というわけで、私は洗剤を使い、かなり気合いを入れてバスタブを磨いた。これからは時々大人が手伝ってやらねば、と反省しながら。バスタブの地肌が夕日の中で次第に輝きはじめた。
 
 二つの事例から、「私たちの環境は気がつかないうちに、予想以上に悪化してしまう」といった命題を導き出したいのではない。無論それは可能だ。が、あまりにも当たり前だ。そうではなく、私は、自分が思っているよりもはるかに多くのタイプミスを犯し、それと気づかず悪文を書いてしまっている自分の病癖と、これらのエピソードとを重ねて考えざるをえなかったのだ。かっこよく言えば関係的同一性を感じたのだが、牽強付会と言ってもいいだろう。
 自分の書く文章に対する「草取り」や「風呂掃除」を時々システマティックにやること。もともとは悪文書きの私が、折り目正しい日本語を書くためには、自然流や無手勝流に頼ってはならないのだ。

見ることと見ないことのあいだ 04/06/25(金)20:48:37
 私が大学に入った次の年(だったと思う)に、浅田彰の『構造と力』と中沢新一の『チベットのモーツアルト』が出版され、ニューアカ・ブームなるものが湧き起こった。だが正直に告白すれば、『構造と力』は第一章(大学論のようなもの)を除いてはよくわからなかったし、『チベット…』もカスタネダが出てくるところあたりまでしかついていけなかった。
 学生寮の上の階に住んでいた我が人生の師青木秀樹さんに、相談すると、「構造主義や記号論についての基本文献を読んでいないと、浅田や中沢のようなポスト構造主義の論客の議論は理解できないよ」と教えてくれた。
 そこで、まずはレヴィ=ストロースやソシュールの翻訳書を手に取ったのだが、これまた部分的にしかわからない。
 青木さんに再度悩みを打ち明けると、山口昌男や丸山圭三郎の著作を紹介してくれた。

 山口の『文化と両義性』や丸山の『ソシュールを読む』は頭の中にすんなりと入ってきた。日常生活の中で漠然と感じたり考えたりしていたことが、「中心と周縁」、「意味するものと意味されるもの」といった概念装置を媒介にすることで、くっきりとした輪郭をもって浮かび上がってくるというのは実に印象的な経験だった。
 それからしばらく私は、こうした概念装置の手助けを借りて、自分の生活世界の様々な現象を説明することに熱中した(たぶんうっとうしいやつだったと思う)。

 (半年くらい経って、浅田や中沢の著作を再読してみると、今度はあまり抵抗なく読み進むことができた。レヴィ=ストロースやソシュールもじっくり読めば、理路を追えるようになった。最初に読んだときどうしてあそこまでわからなかったのか、わからないほどであった。)

 しかしながら、しかるべき概念装置を手に入れれば生活世界の全てが説明できる、という高揚感はそう長くは続かなかった。概念とは見るための道具であると同時に、見ないための、さらに言えば、抑圧の道具であることが「見えて」きたからだ。

 それでもしばらくは、衣装/意匠を変えながらも、概念装置を用いて現象を説明しつくしたいという欲望を完全に捨て去ることはできなかった。しかし、この衣替えという行為を通じて、「選択と排除」、「見えることと見えないこと」のメカニズムを体感することができた。

 このようにして私は、概念装置を通じて現象の全てを説明することは原理的に不可能であるということ、何かを見ることは別の何かを見ないことと同時的に生起するということ、そして、この自己限定こそが研究という行為を可能にするのだということを理解した。このとき初めて私は素人から脱却するための初めの一歩を踏み出したのだと思う。

居酒屋にいるんじゃないんだから 04/06/24(木)13:18:05
 専門家というのは、自分の専門領域に関しては、本来、自己限定と自己抑制が効いているはずである。専門家も人間だから、「天才柳沢教授」のような人を除けば、家族や友人とくだけた会話をしているときには、放談、漫談もするだろう。しかし、自分の専門分野についての知見を求められたときには、当該分野の消息を熟知しているが故に、分かっていることと分からないこと、説明しうることとしえないこととの間の線引きはきちんと行うことができるはずである。

 最近、受講生諸君と一緒に新聞というメディアをいくつかの観点から系統的に読むという課題に取り組んでいる。するとどうしても、佐世保市の六年生殺人事件についての記事についてもかなりていねいにフォローすることになってしまう。
 この事件に関して言うと、本当に事実として明らかになっていることはそれほど多くない。特に、二人の関係が悪化してから事件に至るまでの経緯についてはほとんど知られていない。当事者の発言に関して言えば、加害者と目されている少女の口にした言葉は、幾重にも翻訳された形で、ほんのごくわずかだけ報道されるのみである。
 (それに、もし仮に彼女の言葉が、一字一句公表されたところで、それは一人の主体=主観によってなされた想起=選択=抑圧的再構成であるに過ぎない。確実に明らかになるのは、現場の物理的=肉体的な因果関係のみであろう。)
 
 だから、現時点では、いかなる臨床心理のエキスパートであろうと、逸脱研究のプロであろうと、あるいは著名な推理作家であろうと、今回の事件に関して専門的知見を述べることは不可能に近いのである。
 しかし、実際には、主観的にも客観的にも明らかになっている情報が少ないことに反比例するかのように、今回の事件に関する「識者の意見」とか「私はこう見る」といったコラムや特集はやたらと多い。それらの中には、考えさせられる知見を含んでいるものもある。しかし、どう見ても「様々なる意匠」だとしか思えないものも少なからずある。

 確かに、容易には説明できない事件が起きたときに、それを理解可能なものにするという役割をマスメディアは果たしているので、こうした傾向が全面的に悪いとは思わない。
 しかし、「識者」なら、たったこれだけの情報から言えることは極めて限定されていることはよく<識って>いるはずである。「何が彼女をこうさせたのか」という問いに明瞭な答えを与える段階に達してはいないのだ。
 そういう意味で、「識者の意見」の中に全体を俯瞰して一貫した説明をしようという傾向が見える時には要注意だ。眉に唾をつけて読んだ方がいい。乏しいデータから確実に言いうることだけを言うために、自己限定すべきところはしている「意見」だけが、専門家の知見なのである。無論、そういう姿勢は、逃げを打っていると誤解されるかもしれない。しかし、現実というのは、方法的な自己限定によって初めて可能になる認識の積み重ねを通じてしか、明らかにすることはできないのだ、という方法的スタンスをコメントの中に織りこむくらいの矜持はあってもいいのではなかろうか。

変わらなきゃ、ってイチローも言ってはいたが 04/06/21(月)22:41:37
 先週の金曜日の私は、知力、体力、気力ともに限界寸前であった。

 何度か書いているように、後期に担当する予定だった授業の一部を、故あって前期に前倒しして担当することになり、毎日毎時間、講義をしているか、講義の準備をしているか、どちらかであるという状況からして既に「研究する人としての私」にとっては好ましからざる精神環境である。
 その上ここ三週間ほど、いわゆる「学内行政上」の仕事の中でも、上記「三力」をフルに動員しなくては片づけられない仕事にタッチしていた。
 かてて加えて、五月に投稿した論文に対する編集委員からのコメントが戻ってきたのを受けて、論文の構成の部分的な組み替えに始まり、助詞や句読点といった細部の書き換えを行った。論文の推敲というのは、ある意味で、元原稿の執筆よりもはるかに神経を使う仕事である。

 (先日「Lesen・・・」で取り上げたH・ベッカーも言っているように、論文執筆とは、原理的には決してこれで終わりということのない行為である。少なくとも、人間や社会に関する学問、つまり、書き手自身の存在との間に、相互反映的関係のある学問の場合にはそうだ。締め切りという外的条件のみが論文執筆を終了させるのである。)

 (ついでに言えば、ベッカーの著書で一番印象的だったのは、論文のレフェリー(査読者)との関係を出来るだけ生産的なものにしていこうという姿勢である。レフェリーに大幅な書き直しを求められることに対して非常な恐れを抱いたり、場合によっては拒絶反応を示したりする研究者は少なくないが、ベッカーはリジェクトされたり、根本的書き直しを求められたりした場合にも、まずは自分の論文が、その構成から細部の軸の選択に至るまで、読み手にとって誤読の余地のないものになっていたかどうかを検討するようアドバイスしている。
 「Lesen・・・」で書いたように、ベッカーのこの本は、訳文はお勧めできないが、論文を書こうとする全ての人間が一度は手にすべき本である。たしかに、日本の大学の事情に合わない箇所も散見されるし、パソコンの利用法に関連した記述などは既に昔のものになってしまっている。しかしそれでも、「優れた論文を読むよりもためになる論文作法書」など滅多にないのだから。)

 話を戻すと、あれやこれやで自分の能力以上の仕事を片づけねばならず、疲労が限界に達しかけていたのだ。
 だが、疲れがたまった理由を、仕事の絶対量だけに帰すことはできない。私のライフスタイル自体も疲労に拍車をかけたと言わざるをえない。
 一番まずいのは、睡眠時間の短さである。仕事がたまってくると、官舎に戻るのはとっくに日付が変わってからである。にもかかわらず、朝は八時くらいには目が覚めてしまう(たぶん加齢のせいだろうが、ベッドのある部屋の向かいが官舎の駐車場だというのも問題だ。)その他、食生活もあまり健全とは言えない。アルコールの量も増えている。できるだけ歩くという習慣も、仕事の量がある限度を越えてからなくなってしまった。
 そしてとどめのようにタイガースの不調が続いた・・・・ 

 普段は、ウイークデーに乱れた睡眠や食生活を、週末に家族と過ごすことでなんとかリセットしていたのだが、それすらもできないとなると、カタストローフに至るのは自明の理というものであろう。
 金曜日の午後、出版社から届いた『環境と人間』を10冊ほど抱えて階段をのぼっていて、足を踏み外してしまったときに、このままではいけない、とつくづく感じてしまった。

 というわけで、先週の土曜日の朝、私は

「違う生き方をしようanders zu leben」

と決意したのだ。
 しかし、こういった類の決意をせねばならない状況に置かれた人間が、決意を実行に移せることは稀である。というか、いちいち決意しないといけないところに既に、堕落の陰が忍び寄っているのだ。

Trotz allem mein Entschluss,anders zu leben.

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 まあ何はともあれ、日付の変わる前にベッドに潜り込んで、マックス・ヴェーバーの著作のような人文・社会科学の古典やイタロ・カルヴィーノのような現代文学の実験的作品を楽しんで読むくらいのゆとりは持ちたいものである。

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