大学院生に贈る十箇条(1)

大学院生に贈る十箇条

1. 研究計画を立てよう

 修士課程の授業が始まるよりも前に、五年後を見越した長期計画と一年間の中期計画を文書化しよう。計画を実現するための「手持ちの装備」と「今後入手すべきもの」のリストを作ることもここに含まれる。今自分がやっていることが長期的に見て何のためであるのかを常に意識し、目標を見失わないことが何より大切である。
 この時期に立てた計画を実現できなくてもいっこうに差し支えない。計画などというのはうまくいかないのが常であるし、計画通りの人生などおもしろくもなかろう。だから、この時期に行う計画立案というのはある種のイメージトレーニングであり、「自分はどのような<入院>生活を送るのか」ということを確認することの方に重点が置かれているのだ。

 そして、大学院の指導教官や助手に言われるよりも先にアポイントメントを取って、研究計画についての話し合いの機会を持とう。これはとても重要である。しかしこれは同時に大学院生活最初のクリティカルな瞬間でもある。
 基本的には、これはキャンプイン前に監督やトレーニングコーチと今後の練習方針について確認するような作業だと考えていい。独りよがりの練習をしないために、早い段階で適切な助言を得ると同時にやる気をアピールすることは「はじめの一歩」として必ず踏まねばならないステップである。(多少あつかましいと思われてもやるべきである)

 しかし、この話し合いは、自分がやりたいと思っていることと、教官がやってもらいたい/やらせたいと思っていることとの間のズレを確認する(というかせざるを得ない)機会でもある。もちろん、双方の考えが完全に一致するということもあるかもしれない(めったにないが)。
 たいていの場合は、双方が落としどころを考えることになろう。これが難しい。後々修正は可能だが相当なエネルギーを要する。
 といっても構図は単純である。教官の経験を信じるか、自分の予感を優先するか、その二つのモメントの合力の向かう先にしか落としどころはない。

 ここから先は「運命」の領域である。

 しかし私は、「迷ったら自分の予感を優先せよ」と言いたい。

 理由は三つある。  その一つは、教官は自分の経験から話をしているというところにある。つまり、学問の本質は先行研究を批判的に乗り越えていくところにあるのだから、教官の経験の枠とは既存のパラダイムの枠である可能性が高いのである。
 第二の理由は、研究とは結果が全てであるという点にある。参加しないことはには始まらないが、参加することそれ自体に学問的価値などない(参加する者の主観的な満足感はあるかもしれないが)。十年間の努力の成果が、三ヶ月の実験によって覆されても文句は言えないのがこの世界である。逆に言えば、きちんとした結果さえ出せれば、(極端なひねくれ者の教官は除くが)、最初は反対していた教官もきちんとあなたの研究を認めてくれるということである。
 第三の理由は、教官の言う通りやって失敗しても教官は(ほぼ間違いなく)責任など取ってくれないが、自分の立てた計画が失敗すれば自分で責任を取れるということである。前者の場合、教官を恨んでしまいたくなるが、後者の場合、呪うべきは明らかに自分自身の先見の明のなさである。他人を恨んだりするよりは、自分を呪い、そのあとで冷静に反省した方が、あなたのその後の人生にとって有益であることは確実である。

(ただし、自分が反対していた研究が成功したらいきなり自分の手柄のように吹聴する教官はいる(しかも少なからず)。こういうときは許してあげよう。とりあえずゼミにとどまることは許容してくれたのだから。)

 このように書くと、「よーし、俺は俺の感性の赴くままに研究道を突っ走るぞ!」などと誤解する人がいるかもしれないので、釘を刺しておこう。
 「自分の予感を優先」してもいいのは、次のような場合においてのみである。すなわち:

教官との話し合いを始める時点で、自分の予感を根拠づける材料を少なくとも三つ用意できている。

これである。これができないのならあなたの予感は単なる妄想に過ぎない可能性の方が高い。この場合は基礎的学術能力がもっとあなたの身に付くまで教官の指導に従った方が賢明である。

十箇条目次

十箇条その2

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