大学院生に贈る十箇条(2)

大学院生に贈る十箇条

2. 修士課程の一年目に知の土台を作ろう

 そんなこと当たり前だ、と言う人がいるかもしれない。では訊くが、

あなたは自分の専門分野において「古典」と呼ばれている基礎文献をじっくり読み込んだことがありますか?

自信をもって「Yes」と答えた人は今回の話は読んでいただかなくてもかまわない。が、私は疑い深いので、もう一つだけ質問させてほしい。

あなたは自分の専門分野とその隣接分野の基礎文献と主要研究者の名前をそれぞれ五つずつ挙げることはできますか?

私の予想では、二つの質問に自信をもって「Yes」と答えることのできる大学院生は20人に一人もいないであろう。それが現実である(きっと)。
 その結果として、ある分野を少し研究したことのある者にとっては常識中の常識であることを、あたかも大発見もしたかのように発表している「恥ずかしい」院生が沢山現れることになる。これは誇張ではない。(とすればゆゆしき事態なのだが・・・)。

 いずれにせよ、基礎文献を読むことで自分の土台をどれだけ拡げられるか、さらにはいい意味での雑学によって発想の引き出しをどれだけ沢山もっているが、今後どれだけ高い建物を建てられるかということを根底において規定しているということに間違いはない。
 専門分野における基本的問いの立て方とその問いのマッピングを把握することなくしては、自分の研究の位置づけを見誤ってしまうし、オリジナルな研究というのは、異業種に見出されたある考想と自分の問いとの間に関係的同一性を見出すことから始まることがほとんどである。
 ここでも、そんなことはあたりまえだと言う人がいるかもしれない。しかし、私の見るところ、「入院」するなり自分の研究テーマに直接関係のある文献だけをせっせと集め、一刻も早く「先行研究の批判的再検討」をクリアーしてしまおうとしている修士一年の院生が多すぎるように思われる。
 これではこぢんまりとした修論は書けても、そんなものはその後の展開のための土台になりはしない。

 確かに修士の一年というのはとても忙しい。翌年の修論執筆のことを考えれば、できるだけ単位は取っておきたいという気持はよく分かる。
 だがそれでもなお、自分の知識人としての器の大きさと形の基本的なところは今この瞬間に決まりつつあるのだ、という自覚を持つこと、自分に与えられた時間の中の一定の割合を基礎文献読解と「雑学」に充てることを私は強く勧める。
 しかし、とりわけ関心が一つのテーマに集中しがちな人や、直接的な効果が期待できないことを実行することに心理的抵抗を感じるに人には、こうした土台づくりの作業は長続きしそうにもないと感じられるであろう。そのために重要となるのが、次回話す予定である「研究会仲間」である。

 とここまで書いたところで、なかなか興味深い話を耳にした。ロシア文学者の沼野充義(?)氏が名古屋で開かれたとある研究会の二次会で次のようなことを言っていたそうである。(あくまで伝聞ですので、もし間違っていたらご容赦、ご訂正をお願いいたします)
最近は博士課程の三年目に課程博士論文を提出することが<常識>になりつつあり(=そうするよう大学院に対してさまざまな外圧がかかりつつあり=学問内在的理由ではなく<社会>の要請によってそうなりつつあり)、院生に対する論文指導のあり方が大きく変わってしまった。
 まず第一に、博士論文のテーマを小さく絞らなくてはならなくなった。『ファウスト』の一場面とか、(【以下括弧内は私の想像:】『経哲草稿』の一つの章とか、極端な場合には、『第七のソネット』だけとか)。そのくらい対象を限定しないと、とりわけ外国語の読解が必要となる分野では、三年で博士論文を書かすことは(東大ですら)不可能である。
 第二に修士論文を博士論文に直結させる必要がでてきた。つまり、修論を博論の途中経過報告のようなものにせざるを得なくなった。その結果、院生たちは修士一年の頃から極めて限られた領域の文献だけを収集し読んでいくことになった。
話のコンテクストからして、沼野氏は、これは時代の趨勢だが、決して歓迎すべきことではないと考えているようだ。
 当然である。そんなふうにして博士論文をでっち上げても(論文それ自体の価値ではなく、審査に通るか否かという観点からみれば、対象を限定してディフェンスを固めた方がでっち上げは簡単である)、その後の長い研究者生活を海図も持たずに漂流することは明らかである。運良く就職できても、その後間違いなく伸び悩むことになるし、OD生活に入ってしまったら、立ち直りのきっかけすらつかめなくなってしまう。
 確かに現在では、文系の大学院生にとっても、修士入学後五年以内に博士号を取得することは、理系並に必要となりつつある。それを止めろとは言わない。しかし、そのことは同時に、博士号を持っていてもそのこと自体は英検一級を持っているのと大して変わらないという時代が来つつあるということである。
 そうした時代にこそ+αが必要である。今あなたが自分の地の土台を拡げ、発想の引き出しを沢山作っておくことは、数年後に必ず「ほとんど直接的な効果」を発揮すると予言しておこう。


十箇条目次

十箇条その1

十箇条その3

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