大学院生に贈る十箇条(3)

大学院生に贈る十箇条

3. 研究会仲間を作ろう

  最近、「院生たちが研究会に顔を出したがらなくなって困る」という話をよく聞く。私が関わっていたある研究会が解散したのも、若手メンバーのリクルートがうまくいなかったのが原因のひとつだった。「引きこもり院生」なる言葉を耳にしたこともある。もちろん一人で本を読んだり、データを分析したりする時間を持つことは必要である。しかし、「三人寄れば文殊の知恵」というのもまた本当である。今回は「研究会」について書いてみよう。
 大学院に入ったら、院での授業とは別に、関心のあるテーマごとに研究会を作って、文献の輪読会や研究報告会などを定期的に行ってほしい。え?研究会なるものに一度も参加したことがないから、それだけでは何のことだかわからないって? では説明しましょう。  研究会にも色々なタイプがある。とりあえず三つに分類してみよう。

 1. 学生を中心にした読書会
 とりあえず始めるとしたらここからだろう。要するにみんなで集まって本を輪読すればいいのである。どうでやるのなら、自分一人なら決して読まないor挫折してしまうような本を選ぶ方がいいだろう。前回述べた基礎文献を順番に読んでいくとか、まだ翻訳のない重要書を訳していくといったスタイルが考えられる。
 ただ、学生だけでやっても、わからないことだらけで、続けることに意味があるのかどうかよくわからなくなることが往々にしてある。私がM1の時に現神戸大の山内君や愛教大の阿形君と、「社会学の古典を読む会」と称してマートンやパーソンズやミルズを輪読したときも、(少なくとも私は)正直言って、何のことやらさっぱり理解できない箇所だらけだった。
 しかし、それはそれでいいのである。わからないなりに頭をひねりつつ読み通すことが大切なのである。不思議なもので、こうした「わかりたいんだけどわからない体験」をして何年か経って同じ本を読み直すと、「あれ、いつの間にかわかってしまってるじゃないか!」とおどろくことになるのである。  それでも納得できない(というか、行動に移るのを躊躇している)ひとのために、野矢茂樹が『「語りえぬもの」からの問いかけ』(講談社)という論文集の中で、ヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』について書いた言葉を引用しよう。
ところでこの本、分からないなりに読み通すと、分からないなりに魅せられてしまい、人によっては人生の一大事とも言うべき影響を(分からないなりに)受ける。まさに「意味の他者」である。(野矢 [2002:34])
 2. 他大学の研究者も交えた研究会
 とりあえず身内だけで始めてもいいが、できれば、自分の大学院だけではなく他大学の院生や教官をもメンバーに含む開かれた研究会運営をすることが望ましい。無論、そういった研究会に参加させてもらうというのもありである。学会からの配布物や学内の掲示板そして口コミなどを通じて研究会についてのアナウンスがなされるのでふだんからアンテナを張っておこう。既に会員になっている人に例会に案内してもらってもいいし、直接、会の世話人とコンタクトを取ってもいいだろう。積極的に参加したいと言っている人を門前払いする研究会はほとんどないし、もしあっても、そんな閉鎖的な研究会には顔を出さなければいいだけの話である。
 と、書いてはみたものの、この時点で腰が重くなる人が非常に多いのが現実である。特に会の主要メンバーが「有名教授」たちだったりすると、それだけでしり込みする人がいるのである。実際、ある院生が研究会に顔を見せない理由として、「だって恐そうな先生が多いんだもの」と言っているのを聞いたことがある。しかしそれは、会が閉鎖的であるというのとは違う。
 確かに、他大学の教官たちの前で意見を述べたり、報告をしたりする際に、(少なくとも最初は多少)緊張するかもしれない。しかし、研究会のメンバーというのは基本的には対等なので、大学院生といえども「仲間」として扱ってもらえる。そして、「指導する―される」という関係から解放された、学問的な関心によって(「のみ」とは言い切れないが)結びついた仲間たちとの共同作業から得られるものはとても大きいのである。
 まず第一に、耳学問+割り振られたテーマでの報告を通じて、自分の研究をより広い文脈の中でマッピングすることができる。これを独力でやるのとは大違いである。報告の準備は大変だが、やっておいてよかったと思う日が必ずやってくる。
 もう一つのメリットは、研究というものの萌芽がどのようにして生まれ、どのようなプロセスを経て成果になってゆくのか、その全体を経験できることである。研究会のフルメンバーとして活動していると、どのように問いを立てるのか、どうやってメンバーを集めるのか、例会の運営はどのようにするのがいいのか、シンポジウムや論文集を成功させるにはどうした知恵が必要か、といったことが自然とわかってくる。別の言い方をすれば、独立した研究者としてやっていくための基本的ノーハウが身に付くということである。
 三番目ののポイントは人脈である。これを軽視したり軽蔑したりしてはいけない。もちろん純粋に学問的な意味での人脈というのも大切である。人との出会いは書物との出会い以上に知的インパクトをもっている。しかし、それだけではない。非常勤先の確保という点でも研究会の果たす機能は大きいのである。
 なにはともあれ、どの大学で非常勤講師をやっているかは、その後の研究生活に大きな影響を与える、というのを知っておいて欲しい。それはもちろん「箔」という意味でもあるが、そこで講師として働くことが自分の研究者や教員としての成長にとってプラスになるか否かという意味でもある。そして、研究室の指導教官ルートで回ってくる非常勤ポストよりも、研究会で知り合った他大学の教官から直接くる話の方が条件的にいいことが多い。というのは、採用する側からすると、研究会を通じて能力や人柄がよくわかっている人の方が安心して授業を任せられるからである。というよりも研究会ルートで適当な人が見つからなかった場合にのみ、各大学院の研究室に照会するというのが実状である。(私は、「どいうわけか」出身校で非常勤をする機会には恵まれなかったが、研究会で知り合った他大学の先生たちのおかげで、比較的恵まれた非常勤生活を送ることができた。ただし、非常勤のリクルートのやり方は専門分野によって多少違う。聞いた話では、有力大学の大学院担当教授が一括管理している(つまり、勝手に非常勤先を見つけると叱られる)ような分野もあるそうだ)。
 3. 準学会的な研究会
 これは、名称は研究会だが、会員数が50人を越え、(場合によってはレフェリー付きの)学術誌を出しているような学術団体のことである。2.のタイプの研究会が発展したものだと考えてよい。私が属していた『Quelle』のように同人誌的色彩を残しているものから、『ソシオロジ』の社会学研究会のようにほとんど学会組織になっているものまである。(私も社会学研究会の会員だが他の会員の中で直接面識のある方は20人くらいしかいない)。当然、こうした研究会で自分の成果を発表することは、会の規模が大きければ大きいほど、学会発表と同じような意味合いを持つことになる。
 ただし、こうなると「研究会仲間を作れ」という今回の講座の守備範囲を超えてしまうので、「準学会」についての話はまたの機会にしたい。

 私自身は文学研究科の大学院時代、常時五つか六つの研究会に参加していた。報告の日程が重なって準備に忙殺されたり、自分本来のテーマを見失ってしまうのではという不安に駆られたりもしたが、今思えば、研究会に参加し、(一人前のふりをして)報告することで、間違いなく守備範囲が広がり、本来のテーマも深まっていった。

 無論、つまらない発表をして恥をかいたり、批判されてショックを受けたり、「反面教師」に出会ってしまったりすることは少なからずある。(会のあり方そのものが「反面教師」といった場合もある。そういうときはなるべく早い時期に(なるべく目立たないようにして)退会した方がストレスがたまらない)。しかし、少し考えてみればわかることだが、自分の本務校での仕事だけでも結構大変なのに、かつ、わざわざ研究会にも積極的に参加しているような人の大部分は、「知」を愛する優れた研究者である。
 さあ、今すぐ会の世話人の人にメールを送ってみよう!


十箇条目次

十箇条その1

十箇条その2

十箇条その4

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